ものとこころの環境整備
映画 AI
2021年01月12日
「AI」という映画
2001年の映画なので、
20年前の映画ですね。
お正月休みの夜中に放映していました。
原案は、
「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリックなんですが、
企画途中で亡くなってしまったので、
スピルバーグが監督を務めています。
公開当時は、「AI」という言葉がまだ聞きなれていませんでしたが、
今の時代では普通に聞きますよね。
ストーリーは、
近未来の話として描かれ、
子どもが事実上いない夫婦が
少年型ロボットを育てることになることから始まります。
このロボットを開発した博士も
息子を亡くしており、
手塚治虫のアトムを思わせるような話ですね。
さて、この夫婦と少年ロボットが仲良く暮らしていたら、
なんの問題もなかったのですが、
この夫婦には実は不治の病の息子がいたのが、
突然完治して病院から帰ってくるのです。
結果として、
少年ロボットは邪魔になり、
捨てられてしまいます。
その後の少年ロボットの放浪は、
まるでピノキオの漂泊のようです。
実際、ピノキオに出てくる、
人形を人間にしてくれるという
「ブルーフェアリー」をロボットは探し続けることになるのです。
ロボットは、
母の愛を求めるが故の行動を起こしていきますが、
母と思う人には受け入れてもらえることはなく、
最後は、幻影のような幸福感に満たされています。
「愛」とは見返りを求めるものだったのでしょうか。
「愛される」ことを求めるのが正しいのでしょうか。
ロボットはそういう風にプログラムされてしまっているのでしょうが、
ロボットが「愛」という名のものに執着しているような気がしました。
かのロボットが求めているのは、
「愛」ではないのではないか。
ラストシーンは、
キューブリック監督の
「2001年宇宙の旅」のラスト
ボーマンが行く白い部屋と重なるような気がしました。
(あくまで個人の感想です)
最後までお読み頂きありがとうございます。
Posted by ものとこころの環境整備